第4次緑の協力掛川隊訪中記

July 17(Mon.)


包頭・ロータリー・天馬像

交通機関
宿泊地
スケジュール
搭乗機種
17日(月)
包頭(8:45)
恩格貝(10:45)
専用車
恩格貝
賓館
専用バスにてクブチ砂漠・恩格貝へ、(約2時間)
着後、砂漠ウォッチング・講義

    早起きをして街角散歩する。
昨日は、遅くて気が付かなかったが、ホテルの前が大きなロータリーになっている。
ロータリーを一回りして、散歩して、写真を撮って来る、詳細は、別項を参照して下さい。
E-メールは、フロントに尋いても、ガイドに聞いても解らない。
ここのウェイトレスの制服は、朝、昨夜のものと違っている。
顔も中国系、モンゴル系とあり日本人そっくりさんが居る。
街角に緑が以外と多く、落ち着いた雰囲気の街の印象になった。

    包頭から恩格貝
朝食後、3班構成で3台のバスに分乗して、恩格貝に向かう。
市の中心部を抜け、川を渡って郊外に出て西に走る。
街の中心部は区画整理が終わり、道路も舗装(一部未舗装も有るが)され、走り易く、交通量もそれ程ない。
郊外に出ると未舗装道路となる、包頭は、工業都市という印象だが、ここまで来ると畑が続く。
同乗した現地ガイドは、若く見習いと言った感じで、
びっしりと書き込まれた原稿を見ながらの解説となる。
内容は、正確で、時々の質問につっかえながらも真面目に答えている。
次に来たときは、原稿無しで解説できるだろう。

恩格貝へのルートは、前回98年とは違って、黄河の北を西に行き、昭君墓の手前に架かる浮き橋を渡る。
黄河の氾濫原、遊水池を抜け土手を上がると河原になり、下りてゆくと鉄製の浮き橋が黄河の濁流に浮いている。
通行料を支払い、車から下りて車と、人と別々に渡ってゆく。
黄河の濁流といっても色は、黄色いが、今年は水量が多くないようだ。昨年は、水量が多く渡るのに苦労したとのことです。
渡る途中に川漁の漁師の網を覗くと黄色く濁った水の中にも魚は居る。ウグイに似た魚が網にかかっていた。
土手を上がり道路に戻る、人家があり子供たちが寄って来るが一定の距離から近づかない。

この辺りは、緑が多いが、木の間から大きな丘が透かして見える。
見覚えのある大昭君の墓、昭君墓、この近くなると木がなくなる。
トウモロコシやひまわりの広い畑に出る、見覚えのある光景に出る。
左、東から来る幅広い舗装道路に出る。右折し、この道路に乗る、左右に懐かしい風景が広がる。
両側にヤナギの木が植わった小さな川を渡る、橋が新しく架け替わった。
右側に日干し煉瓦の低い家並みが丘に張り付いている、所々には、昔の穴居の跡が見える。
ああここだ、98年の時に道路工事で止められ、待つことの長かったこと、スイカ売りが来て皆で食べたことなど思い出す。
思い出に浸っている間もなく、料金所になり、ああ、有料道路になってしまった。
幅広で直線的な舗装道路を坦々と進む、両側が黄土むき出しとなり緑が遠のく。
天候は晴れているが、周りに雲が多く、霞んで右、北に見えるはずの陰山山脈は、見えない。

左右に見られた墳墓も減少した、後で聞いたら道路拡張で取られてしまったとのことです。
一度大きく坂を登る、以前道路工事の基地が在った村だ、基地はなく、電信の基地がある。
坂を下って舗装道路から右にそれる、道路は砂に埋まっている。
坂を下ると川になる、前回通行料を取られた川だ、木陰に男達がたむろしているが動かない。
この辺り川があり、柳や、植林されたポプラが見られる。
バスは止められこともなく、浅瀬をジャブジャブと渡ってゆく。左手に遠く橋が見える。
川を渡り左手に上がると舗装道路に戻る。後ろの道路は、砂に埋まっている。
1、2年後、道路、橋の工事が終われば、川を渡ることがなくなる。
舗装道路に戻って暫く行くと標識があり二手に分かれる、恩格貝は、左、ゲートがあり村に入る。
恩格貝、植林基地の手前で舗装が切れる、右手には、風力発電の風車が回っている。
右に回り込んで恩格貝。植林基地、賓館の手前、広場に到着、何のアクシデントも無く、2時間で着いてしまった。
モンゴル式の歓迎、白いお酒による儀式があり、スタッフの紹介後、部屋割り、昼食となる。

    恩格貝での沙漠観察
昼食後、沙漠観察に行く。
ダムによる貯水池を渡るが、水が少ないようだ、前回と違い左、東側に行く。
一部、水があり、ポプラが植えられている。大きな池に出る、地元の男性達が泳いでいる。
池の左側を伝って行くと足元には、小石や粘土や土器の破片が散らばっている。
やがて沙漠に入る。
砂丘を幾つか超え、大きな砂山に登ると北側に恩格貝賓館・建設途中の新館がポプラの林に浮かんでいる。
現地スタッフ、安田さんの話によれば、この辺りは昔、森であり、人が住んでいた。
大雨が降って地表の砂が流れると大昔の地層・粘土が現れ、
人の住んでいた痕跡・土器の破片、貨幣が現れる、とのことです。
少しの時間歩き回り、砂の感触、熱さ、を感じて戻る。
前回に懲りて一眼レフカメラは、持ち出さず、日常生活防水のコンパクトカメラを使用する。

    恩格貝賓館
恩格貝賓館の様子は、前回に詳しいので、省略。
変わった所は、道路が出来、定期バスが走っている。
このため前回の記念植樹は、削られてなくなってしまった。
賓館の設備は、変わらず、シャワーが6時から30分。
どうも、メンテナンスの思想はないようだ。
また、賓館は、現在の建物の北東に新館を建設中。
新館の前、南側に広場が出来、遠山先生の銅像が出来た。
ここからのE-メールは、出来ない。
只、ここからの通信手段としてのインターネット、E-メールは、将来有望。
電話回線はあり、近くに通信基地が存在する。
と、言うことで手紙を出す、売店の係りは、孟さんという女性。
売店には、記念のTシャツや、記念切手、カバーや、飲み物もなどがある。
記念切手を貼り、記念印の押したはがきを購入、日本に郵便を出す。
料金は、航空便で5元、1週間後に、帰国してから届いた。
これは、敦煌辺りからの方が早いかも。
夕食は、前回より日本人好みに改善され、口に合うようになる。

    遠山先生の沙漠教室
夕食後、沙漠教室となる。印象を二つほど。
一つ、図書館を作ろうとして、本を持参したが余り喜んで貰えなかった。
この事は、メンバーと先生とで論争になったが、安田さんのとりなしで、事無きを得た。
翌々朝、この事で先生と話した、真意はこういうことだった。
「皆さん同じ思いで本を持参してくれる。
有り難いことだと思う。
こういう本が部屋いっぱいある。
しかし、現地では本を読むという余裕はない、食べることで精いっぱいだ。
これを貰っても有り難いと感じない。
余ったものを日本人は、処分するため持ってきたと思ってしまう。
東南アジアに産業廃棄物を輸出したのと同じに感じてしまう、悲しいことだ。」
私としては、言外に「本を読める余裕が出来るまで保管しておく。」と、感じました。

二つ目、先生曰く、「私のとこは、沙漠緑化実践協会です。実践することが大事です。
ここに来たとき、目の前は全くの沙漠、緑は、なかった。
この10年でここまで来ました。ミイハオ、乾杯だけでは何も残らない。
実践して欲しい。」
今回、「掛川の森」として恒久的な森が出来るのは、素敵なことだと思いました。

    沙漠の星空
前回、98年の時、素晴らしい星空に出会いました。
今年も期待し、三脚をザックに入れ、星図を持参しました。
今年は、前日16日に皆既月食がありこれも撮影出来れば、
と思ってましたが、これは、時間と天候に恵まれず駄目。
従って、星空に期待をかけて行きましたが、結果的にこれも失敗に終わりました。
月が明るすぎ、天候も曇り空で、星は、全く確認できませんでした。
これは、敦煌まで持ち越しです。早めに就寝。カラオケに出かけたメンバーもいたようです、が。

    タイムスケジュール
包頭(8:45)=恩格貝(10:45)距離、約160km

7月16日(日) Top Pageに戻る7月18日(火)

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