緑の協力・掛川隊訪中団に参加
1998年7月19日(日)

西安=(長安航空・Y7)=楡林=(長安航空・Y7)=包頭=(バス)=恩挌貝(泊)

    西安空港を飛び立って楡林を経由して包頭に向かう
 朝、遠くで聞こえるニワトリの鬨の声で目が覚める。なにか40年くらい前にタイムスリップした気がする。
ホテルの窓から裏側を眺めると周りは畑で農家が点在している。
農家は全て平屋で土壁のようだ。
朝食前にカメラをぶら下げて散歩に出る。
空港近くの屋台は、昨夜の喧噪が嘘のように奇麗に片づけられ静まり返っている。
空港もまだ眠りから覚めず、飛行機の発着もない。
サンタナのタクシーだけが乗客の来るのを待っている。
朝食は、中華料理のバイキングだ。
朝食後、荷物だけをバスに乗せ、みんなで歩いて空港に行く。
 乗った飛行機は、長安航空のY7というターボプロップのプロペラ機だ。

前日迷子になった国内線のターミナルを通ってバスに乗る。
しかし、それらしき機体が見えない。
すると、そのバスが飛行場をぐるっと回って誘導路の端じっこに待機しているY7まで行く。
Y7は、フレンドシップに良く似た高翼の双発のプロペラ機だ。
 飛行機に乗り組む、大きな手荷物は機体の後ろに置いて良いとのこと。
ザックを機体のお尻の倉庫みたいな所に入れる、覗くとタマネギとか野菜とかが転がっている。
飛行機の窓から覗く景色は益々緑が少なくなってくる。
 1時間ちょっと過ぎた当たりでシートベルト着用のサインが出る。
英語のアナウンスを聞いていると着陸するようだ。
アナウンスは日本語はなく、中国語と英語しかない。
いやに早いなと思っていると楡林に着陸する。もともと楡林経由だったのだ。
ここで給油と、若干の人が降り、そして乗り込んで入れ替わる。
ここの空港は本当のローカルで、ターミナルしか建物がない。
空港の前に大きな花壇があり良く手入れされ、草花が植えられ、花がきれいに咲いている。
モンシロチョウに似た白い蝶、チョウセンシロチョウが花に来ている。

給油の時間中は、ターミナルで休憩を取る。
我々が建物の中に入るとドアに鍵がかけられて外には出られない。
ここのトイレは、オープンだ。中国はオープンのトイレが多いと聞いてきたが、初めて出会った。
だけれど、手洗いに電気の温風乾燥機が付いているのが不思議だ。
少しの休憩の後、離陸する。離陸前に花壇の花を前景にしてY-7の写真を撮る。
メンバーは乗り込み始めた。
小1時間で眼下に黄色い大きな川が広がる、黄河だ。
黄河の名残のような青い湖があり大勢の人たちが船を浮かべて遊んでいる、遊園地のようだ。
その上を掠めて包頭空港に着陸する。
本当のローカル空港で着陸した飛行機以外に他の機体は見当たらない。

    包頭空港からバスに乗り換え、黄河の支流を渡河し、恩挌貝へ

 ここで更に現地のガイド、倫(倫 雪峰)が待っている。
それと運転手2名、助手が加わり総勢30名となる。
バス2台に分乗して恩格貝に向かう。
昼食は、向こうに着いてからと言うことで直ぐに出発する。
空港を出て右折西に向かう、途中ガソリンを仕入れる。リッター2元だったと思う。
(ビールと水が3元と同じ値段で、ガソリンの方が安いのが面白い。)
左に回り込んで、黄河に架かる有料の大きな橋を渡る。
土の色が所謂黄土色で広大な大地が広がっている。
道の両側には、ガソリンスタンドが多い、石炭を満載したトラックが行き交う。
 途中を右折し畑の真ん中の道に入る。
トウモロコシとか、ヒマワリが植えられていて、北海道の富良野あたりを思い出させる景色となる。
しかし、それよりも広いが、雑然としている。
右、北側に遠く黄河が流れているはずだ。
左側黄土高原から流れ出る支流には橋がなく雨が降ると車が渡れないことがあるとのことです。
黄河の支流の橋のない川を3本、車でジャブジャブと渡る。
まず、1本目、流れは弱く、深さもあまりなく渡りきる、が、渡ったところで車のエンジンが止まる。
エンジン・プラグを乾燥させ、再スタートできる。
再スタートまでの短い時間車外に出て川の土手に上がる。
河原の外には、玉蜀黍、向日葵の畑が広がる。
ここでも楡林の花壇で見た白い蝶と、黄蝶みたいな黄色い蝶を見かける。
次に2本め、この川が一番深くて広かった。
トラックとか、トラクターは渡れるが、バス、乗用車はそのままでは渡れない。
牽引をするトラクターのような車両が待機している。
1回いくらかで牽引をしてくれる。この車両に牽引をしてもらい渡りきる。
すぐ下流にいわゆる”賃取り橋”が仮設されている。
流木を組み立てただけの物だが、人とオートバイは、お金を払って渡ってゆく。
橋のたもとには、老人が一人お金を取っている、この橋の権利を持っているようだ。

    道路工事で止められること。
 道路工事で迂回路が出来ている。かなりのデコボコ道を行く。
途中の集落は日干しの煉瓦造りで豊かとは言えない。
その迂回路が終わった所で工事を行っている、工事用の車両が道を塞いでいて通れない。
車を停めて待つ、すると何処からともなく西瓜売りが現れる。
暇つぶしに西瓜を買って食べてみる、結構行ける味だった。西瓜は丸くなくて細長い。
倫さんが様子を見に行く、中々帰ってこない。
交渉が難航しているみたいだ、そのうちに帰って来て通れるという。
工事用の車両が道を開ける、お金で解決したようだ。
そのうちに舗装道路となり街に近いことと思わせる。
 割とまとまった街を通り抜ける、ここはかなりの人口がありそうだ。
テレビのアンテナ(普通のアンテナ、パラボラではない。)が上を向いている。
衛星放送を受信しているようだ。
道路の舗装工事をしていて、工事の基地みたいのもある。
部落を外れるとまた荒れた大地に出て、未舗装になる。右、遠くに山脈があり目立つ山が見える。
陰山山脈であり、主峰が陰山という山です。
3本目の川に出る。道路の真ん中に大きな枯れ木が置いてあり道を塞いでいる。
車が停まると、人相の悪い男達がバラバラと2、3人飛び出してくる。
まるで山賊の襲来だ、どうもこの先の川を渡るのに金を置いていけと言っているようだ。
しかたなくお金を渡して通してもらう。
 道路の分岐に出る、山にある良くある指導標みたいな目印があり、左折して砂漠に入る。
動物の自然保護区になっている。保護区の監視員がいて止められるが、直ぐに通してくれる。
右手に風力発電の風車・プロペラが見える。
左手に農家等があり、右に回り込むと建物がある。
着いた、やっとたどり着いた感じだ。3時過ぎになる。

    恩挌貝に到着、歓迎を受ける
 宿舎の前で歓迎式があり、スタッフの紹介等のあと、最後にモンゴル風の歓迎を受ける。
モンゴル式の乾杯の儀式を受ける。乾杯のお酒は白く、透明でアルコール度が高い。
右手の親指と中指を合わせる。中指にお酒を着けて空に向かって天の神様に感謝。
続いて下の地の神様に感謝を捧げる。最後に自分の額を指でなぞる。
そして牛の角に入ったお酒を飲み干す。
そういえば、テレビで亡くなった大作家の開高健がモンゴルでイトウを釣るときに同じ儀式をしていた。
 部屋割りの後昼食となる、昼食には、麺類などが出される。
宿舎は、一応のホテルで、ベッドがしつらえてあり、風呂はないが、トイレ、シャワーが付いている。
シャワーの使える時間が限られていて、温度調節は出来ない。
また、トイレの水がうまく止まらない。
だけど、砂漠の真ん中に良くこんな設備をしたもんだと感心する。

    砂漠ウオッチング

 19日の午後、遅い昼食の後、砂漠ウオッチングにゆく。
昼食を終えて一休みした後でバスに乗って砂漠の見学に行く、暫く行くとなんと大きな湖に出た。
大雨が降って一夜にして出現したそうだ、今は、堰堤を作ってあり潅漑に利用している。
以前に植えたポプラの林を行く。
ここのポプラは、あの北大の並木のポプラの子孫ということだ。
しかし、地元の木が良いということで捜したら新彊にポプラがあり最近は、こちらを利用している。
一部に並木があり、新彊ポプラは、幹が白くて葉も裏側が白い、何処か白樺を思わす良い木だ。
砂漠の入口で車を降りて砂漠に入ってゆく。砂漠の周辺は、以外と緑がある。
植林されたポプラの他にも、湿った場所がありカヤみたいな植物も生えている。
また、植えられたポプラの幹が砂に埋まっている。
砂が移動するので埋まるけれどポプラは、幹の途中から根を出すので枯れてしまうことはないようだ。
砂漠に入ると意外と動物もいる、白い15センチほどのトカゲが跳ね回っている。
近くの砂漠をぐるっと回ってバスに戻る。
 帰りがけに靴を脱いで裸足で砂漠を歩く。
午後なので砂漠の砂はそんなに熱くない。
裸足で歩くと砂の様子が良く判る。
日が当たって温度の高いところ、影になっていて温度の低いところ。
乾燥してさらさらしているところ、湿っているところ。色々ある。
砂漠の中から北側を眺めると遠くに陰山山脈が見える。
更にその北、山並みの向こう遥か奧がモンゴルだ。
宿舎の近くでここの事業の説明を受ける。
緑化事業のほかにも幾つかのことをやっている。
作物は、紅花を栽培、ジャガイモや麦も出来そうだ。
コスモスの種を採るために広大なコスモス畑がある。
また、だちょうを飼育していて卵や肉、皮を売って収入を得ている。
砂漠の地下から水を汲み上げて、清涼飲料水として(恩格貝・砂漠泉)包頭に出荷している。
植樹のためにやってくる人達の世話をすることにより雇用を創り出しているのも大きい。

    砂漠教室
 遠山先生の砂漠緑化についての講義を受ける。記憶に残っている限り書き出してみます。
夕食後で、お酒と満腹で、眠くて、翌晩の教室との話がごっちゃになっている、ごめんなさい。

・この黄土高原の砂漠の砂が舞い上がり、西風に乗って日本に届いて黄砂の供給源となっている。
 緑を増やして砂の飛散を食い止めれば、この黄砂は少なくなります。
・じゃがいもの保管倉庫について。
 ここの砂漠でジャガイモを栽培することは、不可能ではありません、実際に収穫できます。
 しかし、保存することが出来ないのです。暖かいからでなくて冬、寒すぎて凍ってしまうのです。
 これを防ぐには、地面を掘り込んで屋根を付けた充分な保管庫が必要なのです。
 倉庫を作るためにはお金が必要です。
 また、材料もいります、材料は、ポプラを伐採出来れば屋根を作ることが出来ます。
 従って、お金のある人は、お金を出して、我々みたいにない人は労力を提供すれば良いのです。
・砂漠の開発と食糧生産について。
 砂漠でも充分な水、潅漑と肥料さえあれば小麦とか、ジャガイモとか、
 或いは、菜種油、紅花とかの植物性の油が出来ます。
 世界の人口増加に対して必要な食糧を確保するためには、砂漠の開発しか残された道はありません。
 実際にもここの砂漠では、実践しています。
・掛川からは、以前に葛の種を頂きました、砂漠でも立派に育ちましたが、残念ながら残りませんでした。
 なぜなら、これらは、家畜の餌になってしまったからです。
・砂漠を緑化するためには、お金のある人は、お金を。
知恵のある人は、知恵を。何もなくても力を貸して下さい。
・最近、保育園を始めました。
働きに出る親達が馬に乗って預けに来て、また、馬で帰ってゆくとのことです。

 大体を要約するとこんなことをおっしゃっておられました。間違えていたら私の聞き違いです。

    満天の星空
 砂漠教室の終了後に星を見に行く。
宿を一歩出ると真っ暗で、空気も澄んでいるので素晴らしい星空が見えます。
奇麗とかを通り越して凄絶な空と言えます。
南アルプス(特に熊の平)の星空も素敵ですがこことは比較出来ません。
日本で見るよりも何十倍の星がそれこそ満天に散らばります。
ダイヤモンドの砂をバケツに入れて大空にばら撒いたらこんなになるのかしら。
 時々静かに動く天体が有ります、あ、人工衛星だあ。
北の空は、比較的星の数が少なくて直ぐに北極星が判りました。
そして、大きく大熊座の北斗七星が広がります。北極星を挟んでカシオペアが見えます。
今は夏ですが緯度が高いために日本では冬の星座ですがここでは良く見えます。
南には、本当に星の流れる川、天の川がとうとうと流れています。
銀河を泳ぐ白鳥座の白い星。さそり座のアンタレスは赤くかなり低い位置です。
この星の流れは、天の川というよりも銀河にふさわしい大きな流れに見えます。
これだけ星の数が多いと星座の名前が解らず今度行くときは、星図は必需品です。
それと、7から10倍くらいの双眼鏡、懐中電灯も必要です。
写真を撮るために、カメラは、タイムかストッパーの付いたレリーズとバルブのあるもの、三脚も必需品です。
この星空は、我々おじさん、おばさんのロマンをかきたてます。
宿舎の前の広場というよりも道路に寝転んで、空を眺めて大声で歌います。
出てくる歌は、昭和30年代、懐かしのメロディ。
出だしが歌えて、途中が判らず、また戻って中々終わらない。
みんな宿に戻ってしまい数人になってしまう。
最初は歌は、月の砂漠。最後も月の砂漠。

    砂漠のカラオケ
ここで、莉ちゃん、またまた、登場。
『現地の人や、従業員向けにバーがあってカラオケがあります。歌おうよ。』
と残った数人がカラオケに連れて行かれる。
あった、ありました、レーザーカラオケです、但し、モノクロ。
歌詞カードはなく、リストもありません、ディスクのラベルにある歌だけです。
ビールを飲んでおつまみはヒマワリの種などでした。
次には、踊ろうよ、歌も踊りも苦手な私は、聞いているだけですが、楽しい夜が更けてゆきます。
最後に月の砂漠という題名の変な中国の歌が出てくる、これでお開きとする。

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