第4次緑の協力掛川隊訪中記

July 21(Fri.)


敦煌・瓜の量り売り

交通機関
宿泊地
スケジュール
搭乗機種
21日(金)
敦煌(17:00)
銀川(19:00)
銀川(18:40)
北京(21:10)
中国西北航空(WH2155)
北京
前門酒店
敦煌観光、敦煌古城
空路、北京へ、北京観光、天安門広場見学
BAe-146

    朝の散歩

前日残したE-メールを発信する。
例によって朝の散歩、ホテルを出て左に行き、ローターリーに出る、大きな白い像がある。
琵琶を背にし、音楽を奏でる飛天の姿、敦煌の象徴となっている。
朝の交差点は、包頭ほどの賑わいは、ない。
交差点を渡り、左回りに1周する、まず郵便局、まだ開いていない。
ひょっと、後ろを振り返ると2人の日本系外国人のお婆さん、、Do you speak Englishときた。
殆ど駄目、と答えると「おはようございます。」が来てしまった。
一人は、日本語しゃべれて、もう一人は全く駄目。ちょっと古いが、折り目正しい日本語をしゃべる。
台湾からですか、と聞くと、違ってました、ハワイから来たそうです。
沙漠に植樹をして来た事などを話す、彼女らのツアーは、敦煌の後、北京へ。
そこから二人だけで、香港を回って帰るとのことでした。
Eーメール、ホームページのアドレスを伝え、アクセスを依頼する。
また、自由市場の場所を教え、行くように薦める。
二人に別れ、ホテルに戻るとビジネスセンターが開き李晶さんが出勤して来た。
朝食前の短い時間を使って、E-を発信しました。
    敦煌故城
朝食後、出発時間までの間に、敦煌故城に行く。
ホテル・太陽大酒店から右、莫高窟、飛行場とは反対の西に向かい、市街地を出ると河を渡り、また、沙漠に入ってゆく。
ここは、映画「敦煌」の撮影の時使ったセットがそのまま沙漠の真ん中に残して、観光地として活用している。
映画のセット跡、どうせ張りぼてとたかを括って行ったがこれが中々雰囲気を残している。
中国の専門家ならば可笑しい所もあるのだろうが、我々には、丁度良い。
特に、商店、民家等は、博物館の何処にも無く時代が伝わって来る。
只、日陰が少なく、建物の中に入れて、涼しく助かった。
また、来る途中の道路沿いには、光ケーブルが埋設してあり、E-メール接続の速さの謎の一端が解けた感じだった。

    敦煌自由市場

昼食後、時間の隙間を見つけて、外に出る。
道路には、リヤカーを曳いた瓜売りが古風な天秤はかりでスイカを量り売りしている。
女性は、大きな布で顔を隠し、眼だけが分かる。
比較的な大きな交差点で、各種のお店が並んでいる。
金物屋風の店でランプみたいのを探すが売っていなかった。
隣の自由市場に入る、入口は、野菜、果物を農家が売っている、トマト、瓜、葱、ピーマン。
更に奥に行くと、食堂街となる。
ブタの一匹丸ごとは、ないが、かなりこってり系、麺類が面白い、細く幅、2、3mm、長さ3cm位に丸めて茹で上げる。
また、男性が練った麺の生地を包丁で削ぐ、薄く削がれた麺が煮えたぎったなべに飛び込む。巧いもんだ。
丁度昼時でかなり込み合っている、食べてけと、うるさいがさっき食べたばっかり、遠慮する。
右に曲って、衣料品店街となる。こういうのは、苦手。
市場を抜け、通りに出る、戻るように右に曲る、建物内に土産物等が並んでいる。
本屋を見つける、新本、古本ごちゃ混ぜ、入って地図を探す。
赤い表紙のハンディタイプの本になった中国全国版を見つける、2000年の発行で、北京出版、定価10元、まけなかった。
内容は、良くまとまって携行に便利、但し、中国語表記のみ。
時間が無くなり慌てて昼食会場のホテルに戻る、また、予定変更、飛行機の出発時間が2時間ほど遅れる。

    敦煌郊外の農家にお邪魔する
食堂で休んでいたが、そのままでは何もならない、敦煌は、沙漠のオアシスなのだから水が出ている所を探そう。
来る前から狙っていたショットに灌漑用水の周りに柳の並木があり、そこに集う人達ってのがあります。
これを見つけに行こう。水を探して、1時間ほど歩いてみよう。話を聞いて2人が付いて来る。
ガイドに尋ねる、これが駄目、イメージが湧いてこないみたい、仕方ない、フロントに聞く。
日本語は全く通じない、英語も駄目、最後の手段、筆談と手まね、水、流れ、駄目か。
フロント、ウェイトレス、娘達が寄って来る、中に分かったのがいた、用水だ。
ここでも好奇心旺盛なのは、娘達だ。

何のことはない、ホテルを出て、自由市場の反対側右へ、東に2、30メートル、行った所を水が流れ込んで来る。
用水路に架かる橋の上から南側を眺めると、夏の強い日差しの中を黄色く濁った水がとうとうと流れて来る。
後ろを振り返ると北に、敦煌市街に流れ込んでゆく。
橋の右、西側は、軒の低い日干し煉瓦の住宅、町工場、アパートで雑然としている。
左、東側は、川岸に柳の木、農家が点在している。東側だ、こっちを南に行く。
道は、未舗装、黄色い土に太陽の直射日光が反射して、眼に痛く、上からも照らされて暑い。
農家の戸口には、表札がかかり中を覗くと奇麗に整頓されている。裏には、トイレの出口、自然乾燥か。
中に入ってみたいね、などと話しながら行くと東西に伸びる柳並木が大きくなり、水流が二手に分かれる。
右の流れは、発電所らしい建物の下を流れ湧き出すように渦巻いている、左は、平らに流れ込んでいる。

立ち止まって居ると、後ろから自転車に乗った女性が追いついて来る。
気配を感じて振り返ると、自転車からは下りていて、眼が会った、若い女性だ。
声を掛けようと、何語、一瞬ためらうと、向こうから日本語が返って来た。
「こんにちは」、何だ日本語が通じるのか、左腕に巻かれた沙漠緑化と日本、中国協力の文字を読んだらしい。
安心して話しはじめる、「日本食レストラン・富士で働いていて、仕事が終わったので家に帰る」とのことです。
日本語は、レストランに来る日本人から聞いたものを憶えた、学校で習った訳でない。
ところで、やっぱり、さっきのは、発電所。
「奇麗な澄んだ水が流れている所は、ありませんか。」「あります、そこを右に曲がった所を行くとあります。」
「近いので一緒に行きましょう。」と彼女は、自転車を押して一緒に歩きはじめる。左に曲がる。
曲がり角に大きな井戸がある、中を覗くと非常に深く、底は、見えない、途中から鉄のパイプが延びポンプ小屋に消えている。
聞くと「今は、水が無いが雨が降った後には、水が上がって来る。」とのことです。
そのうち話が弾んで、「家が近いし、今は、の季節で家にあるの食べに来て欲しい。」となる。
時間も気になるが折角の好意、喜んで受けることにする。だが、結構遠かった。
道は、2、3メートルの農道右にコンクリートの深さ1メートルほどの用水路、少し流れている。
左は、道路脇の水路、暫く行くと、澄んだ水が流れて来た、手を漬けると冷たい。20度位か。
ただ、動物の臓器らしいものも流れていて、奇麗ではない。
畑は、右がトウモロコシ、左は、綿花、花が咲いている。時に果樹の枝が農家の軒先、道路にも被さる。
「敦煌には、3つの果樹があります、何でしょう。」、「何だろう、リンゴ、杏、それと。」
「梨(洋梨)です。」「そうか、梨か。」「今は、杏と梨の季節です。それで、私の所で杏を食べください。」
水の流れの元は、井戸からポンプでくみ上げたもので、深さは、20メートル位だと言ってた。

井戸の先を曲がるとやっと、O.Y.さんの家、中に入る。
日干し煉瓦の平屋で、中央に中庭、左右に3部屋づつ、左の手前から叔母さんが出て来た。
左の真ん中から妹さん、右の中の部屋、お母さんの部屋に案内される。
部屋は、土間で、ベッドが設えてあり、椅子が2、3脚。
冷えた瓜が出る、杏は、屋根に登って取って来た、干した杏を洗って出してくれる。
冷えた瓜は、美味しかった。O.Y.さんとその妹は、日本語を勉強したい、話を聞きたい。
そういうことだ、二人は、急いでノートを取り出す、びっしりとローマ字で書かれていた。
こっちも日常生活のことを知りたいが時間切れ、戻る約束の時間が過ぎている。
急いで、事情を話し、帰ることにする。二人とも残念がっていた、こっちも心残りだが引き上げる。
3人で相談の結果、お礼に少しお金を受け取ってもらおうと差し出すが受け取らない。
「もう、友達だ、だから、受け取れない。」と固辞するので仕方なし、戻ることにする。
全員で写真を撮り、帰国後送ることにして別れた。
道に出るとワルガキども、5人現れる、こっちも話できず、写真を撮っただけ。
急いで元の食堂に戻る、まだ、時間の見通しがつかない、皆待っているだけ、残念、分ってればまだ居れた。

    敦煌から銀川経由北京
敦煌空港は、出発便の遅れと、到着便が重なり混雑している。
建物は、古く冷房が効いていない、時間が無いのとお疲れで土産物店の冷やかしもままならない。
飛行機に乗り込む、西安から来たときと同じ北西航空のBAe-146だ、途中、銀川に寄る。
銀川空港は、新しく大きな空港になっている、やっぱりBAe-146は、狭い、休憩が必要だ。
ターミナルは、2階で、外階段の踊り場から振り返るとBAe-146と人との配置が丁度良い、1ショット。
中に入る、ガランとした大きな建物で使っていない部分が多く、冷房が入っていない、扇風機が回っている。
雰囲気は、何となく蘭州空港と似ている、飛行機のプラモデルが多く置いてある。
それ程待たずに、一息いれると出発となる。
暫く飛ぶと夕暮れ、夜になる。
とっぷりと暮れた北京空港、夜景が美しい、だが、中々降りない、2、3回旋回してやっと到着。
降りると、乗客でごった返している、北京のガイドが迎えに出ている、飛行機が遅れたので、万里の長城は、なし。
直ちに市内に向かう。

    北京天安門広場
市内に入り、ライトアップされた天安門広場に行く。
広場は大勢の人達が出て、夜店も出ている、しかし、なんとなく落着かない。
近くにバスを置いて広場に入ったとたんに追い出される。
写真を数枚撮っただけで引き返す、周りの大勢の人達も怪訝な顔をして従っているだけ。
帰国して解ったが、宗教団体の集会があり、排除されたようだ。
北京飯店は、外装工事中だった。
ホテルに入る、もうレストランもやっていず、荷物も各自持ち込みとなる。
部屋に入って旅行社の準備したレストランと言うよりも飯屋か、居酒屋と言った雰囲気の食堂に行く。
飛行機が遅れた関係で、予約したレストランが使えないのだ、万里の長城に行く途中に在ると言うことだった、が。
ここの食べ物は、普通だが、冷やし中華風の麺は良かった。麺そのものは、韓国の冷麺の雰囲気。
レストランに戻り、ビジネスセンターを探したけれども気がつかなかった。疲れた。明日の朝も早い、寝る。

    タイムスケジュール
朝食(8:30)--敦煌太陽大酒店(9:30)=敦煌空港(17:04)-WH2155-
銀川空港(18:40-19:00)−離陸(19:14)-WH2155-北京(21:10)=天安門=門前飯店(泊り)

7月20日(木) Top Pageに戻る7月22日(土)

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