1.概要
寸又川と水窪川の分水嶺から少し離れて立って、独立峰の趣があります。
足下に鹿の平の別天地を持ち、ゆったりとした山容は包容力に富んだ大きな山です。
前回1991年から10年が経ちその間の変化を確認するために友人二人に同行を頼んで登りました。
今回は、10年振り、2回目の登山となりました。
確認事項は2つ、一つは、林道からの取り付き点、もう一つは、全体の状況です。
取り付き点の位置に変更はないが、尾根までのルートに変更があった。
全体的には、笹が低くなり歩き易く、踏み跡もしっかりしてきました。
幸いなことに、この山の良い雰囲気は、変わらず、無用な標識も見られませんでした。
標高 | 2171.3m。 | 2万5千地形図 | 水窪湖・寸又峡温泉 |
2.山行記 2001年4月28日(土)、29日(日)
4月28日(土)
アプローチ
藤枝、掛川、森町を経由して天竜、町の手前左から新しい橋が浜北から来ていた。
掛川、森町の間に第二東名が出来るので、工事が大分進んでいる。
天竜、舟明ダムの途中で休憩、かつての佐久間線の橋脚は、遊歩道に活用されている。
秋葉ダムを越え、大輪にてトイレ休憩、水窪の町をすぎて、水窪ダムを通過、ダムの水が少ない。
戸中川の林道脇には、釣り人の車が多く見られる。
中小屋のゲート前、道路わきに車を置く、既に4台ほど駐車しているが、釣りらしい。
中小屋から不動岳登山口
ゲート前で荷物を振り分け、出発する。
林道の傾斜を感じるようになった、実際かなり登っている。
営林署小屋の裏手で、休憩、歩き続けて葵沢まで来る。
途中、鹿に出会う、白いお尻を振ってガレを駆け上っていった。
葵沢に入る手前の壊れかけた小屋は、取り壊されてヘリポート、これも草に埋もれている。
黒法師岳登山口、日陰沢に行く林道支線を見送り、更に行くと、林道に土砂が出ている。
葵沢橋の手前で、林道の右手が大きく崩壊して、土砂が林道を完全に塞いでいる。
まだ踏み跡がなく、上部をトラバースと、下部を沢に下りるの二手に分けて通過する。
葵沢の橋を渡り、林道左脇に営林署の小屋、使えそうだ。右手に水場がある。
林道を偵察する
荷物を置いて偵察に行く、小さな尾根を回り込むと左に広場があり、右手に不動岳登山口を確認する。
この広場にテント、4、5張はれる。更に上流に行くとまた小屋がありその上に5、6張張れる。
事前の情報によれば、この先に登山口があるようになっている、林道を先に行く。
しかし、見つける事は出来ない、と、林道上を黒い影が横切る、カモシカの子供だ。
止まってこちらを伺っている、カメラのレンズを望遠に替え2枚シャッタ−を切る。
更に近づくと、林道下に姿を消した、間合いを計っていたようだ。
尾根の先端で林道が乗り越えている地点を見えるところまで行って戻る。
前回川に下りた地点を確認するが、川までは遠い、他から川に下りることにする。
戸中川・葵沢
昼食後、不動岳登山口前の広場から茨の繁るガレを降りて沢に下る。
降りたところは滝の上で、水量はあるが魚の気配はしない。
葵沢を下る、すぐに大きな滝の上に出る、右岸を巻いて下る。沢に下りて釣りをする、当たりはない。
これを2回繰り返す、巻いて下るのもかなり厳しい。
最後、以前に来たことがある下からの魚止めの滝の上部に出る。これも右岸を巻いて下る。
滝壷に竿を出すが、一度当たりが有っただけだった。もう一度右岸を巻いて、本流との出会いに出る。
3人で手分けして釣るが、当たりは遠く、友人がアマゴを上げただけだった。
本流は、相変わらず土砂の流入が激しく川床が安定していないようだ。
帰りは、日陰沢と葵沢の間の尾根を登る、最初は、杉の植林と天然林のミックス、道は無く尾根を直登する。
杉の植林だけになると踏みあとがあり、昔のヘリポート跡に飛び出す。
林道を小屋に戻る、崩壊地は上部を巻いて抜ける。
林道脇の小屋に泊まる
林道脇の小屋は、使っているらしく扉は開き、中に新聞紙が散乱している。
中を整理し、座ると落ち着く、ストーブは、使えそうだ、林道上に散らばる枯れ木を集め燃料にする。
ストーブに火を入れ暖かくなったところで乾杯、夕食後、明日に備えて、早めに就寝する。
4月29日(日)
登山口から苔庭
小屋を出る頃に、3人のパーティが対岸に現れる。崩壊地の突破に苦労しているようだ。
登山口は、標識があり、昔と変わらず尾根の手前、伐採地をジグザグに上がっている。
ここは、林道が広くなり7キロ標識があり、ベンチ、ケーブを巻いていた芯を利用したテーブルがある。
崩れ易い伐採地は、茨が多く夏場は苦労しそうだ。
伐採地のジグザグを抜けると桧の植林帯になる、尾根までの中間地点に明るく開け山桐が3本ある地点で小休止。
さらに桧林を行くと、笹が出て、尾根の先端に登りつき右に方向を変える。
ここまで、笹は殆ど無く、林の中は暗く、笹が枯れている。
ルートが変わっているかもしれないが、1991年の時に笹で苦労したのは嘘のようだ。
尾根に出て背の低い笹の中天然林を登って行くと、徐々に笹の背が高くなる。
突然、笹が切れて石がゴロゴロと散乱し、苔の密集した地点に出る。
前回、此処には、浜松北高山嶽部、1990年の標識があったが今回は、見当たらない。
苔庭から鎌崩の頭
此処を抜けると傾斜が急になり笹が深くなるが踏み跡はしっかりしている。
この急斜面を登りきると稜線直下の広い尾根になる。この辺りから残雪が出始める。
前回は、此処で笹が酷く苦労したが今回は、笹が薄く、踏み跡も明瞭だ。
前回休憩した大きな倒木も健在だった。
この上部で右手の崩壊の上にでる、木の間から覗くと黒法師岳、バラ谷山、丸盆が望める。
稜線の手前、最後の急登に入る、樅の木などの尾根を登り、笹の中を少し左に行く。
ひと頑張りすると笹が低くなり、鹿の平への縦走路に出て、右に行き鎌崩の頭に登りつく。
鎌崩の頭から鹿の平
鎌崩の頭は、笹から開放され草地になって休憩するのに丁度良い。
荷物を降ろし、小さな笹の中に寝転ぶと心地よく、眠ってしまった。
目覚めて元気になり、鹿の平に下る、此処から一番眺めが良い、鹿の平を従えて悠然と構える不動岳の姿がある。
稜線は、左端水窪側が歩き易い、今日は、笹の上に残雪もあり、こちらも歩き易い。両方を適当に下る。
今日は、鹿の平へ左から崩壊地の縁を回りこんで入る。
鹿の平は、左水窪側は鎌崩沢の崩壊地の上、右は笹原で上西河内の源流に当たる。
風の通り道で木が育たず、低い草が生え、亀甲状土の原型のようになっている。
この頃から雲が低くなり、不動岳の頂上を隠している。
鹿の平の北半分は、笹が繁り木が疎らに生えている、10年前に比較して、笹の丈が短くなった。
鹿の平は、左(西)に出て、端を北に向かい、右に回りこんで行くと歩き易い。
回り込んで鹿の平の北側に出ると吹き溜まりとなっていて雪が深い、が、硬く締まって歩き易い。
この頃、豊橋から来たという3人のパーティーが追いつく、此処から帰るというので置いて先を急ぐ。
吹き溜まりとなって残った雪は、深いところでは、4、5メートルにもなっている。
笹の上に雪が乗っているので帰って歩き易く、雪の上を拾って歩いて行く。
やがて雪が消え、不動岳の直下の登りになる、笹は短く歩き易い。
程なく不動岳の頂上、頂上には、雪が残り寒い。
豊橋の3人のパーティーの内一人だけ登ってきた。
風の当たらない斜面にひっくり返っていると雲が切れ、南アルプスの南部が現れる。
鹿の平に戻って昼食を摂り、帰りは、来た径を引き返す。
10年前に苦労した笹は薄く、短くなり鎌崩の頭の直下の広い尾根も苦も無く抜ける。
この辺から雨が酷くなり雨具を着けての下りとなる。
苔庭で小休止をし、尾根からの分岐も道なりに桧林に入る、山桐の所で雨宿りをし、直ぐに林道に降り立つ。
小屋で荷物をまとめ、長い林道歩きの末、ゲートに戻る。
4月28日(土)
藤枝(6:00)=掛川=天竜(7:00)=大輪(7:40)=水窪=水窪ダム(8:20)=戸中川中小屋(8:45-9:00)
--上足毛沢橋(10:10)--中間の小屋(10:15-10:30)--5キロ標識・日陰沢(10:55)--6キロ標識・林道分岐(11:05)
--7キロ標識・不動岳登山道入口(11:30)--50橋(11:55)--8キロ先まで偵察(12:15)
4月29日(日)
小屋(5:45)--登山道入口(5:55)--桧林の中間点・山桐(6:20)--苔庭(8:30)--鎌崩の頭(9:30-9:45)
--鹿の平(10:15-10:25)--不動岳(11:20-11:40)--鹿の平(12:08-12:25)--鎌崩の頭(12:55-13:00)
--苔庭(13:55-14:05)--山桐(14:55)--登山口(15:10)--小屋(15:55-16:10)--中小屋ゲート(18:00)
=水窪=天竜=森=掛川=藤枝
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